西の芦屋、東の曽根

阪急電車

曽根イーストテラスのある「曽根」という町は、大正から昭和の初めにかけて広い庭に石塀をめぐらせた立派な邸宅が相次いで建ち「西の芦屋、東の曽根」といわれていたそうです。また、駅の東側には関西の財界人に愛された、北大路魯山人の「大阪星ヶ岡茶寮」もありました(戦争で焼失)。今でもひとつ通りを中に入れば、当時の面影を残す大きなお宅が散在しています。(彩流社出版・山下ルミコ著「懐かしい沿線写真で訪ねる 阪急宝塚線・能勢電鉄 街と駅の1世紀」より一部抜粋)