大阪市と豊中市の境界となっている神崎川にかかる三国橋、明治6年にこの橋が架けられる以前はこの場所に渡し船があり「三国の渡し」と呼ばれていました。その歴史は古く「太平記」のなかで南北朝の楠木・和田軍と箕浦・佐々木軍の争いの記事に出てきており、1362年には既に存在していたと思われます。江戸時代には能勢・池田方面の特産品が集められ大阪市内へ積み出す港として能勢街道のなかでは重要な場所であったようです。現在はここから西側200mほどのところに阪急宝塚線の三国駅があり、今も変わらず周辺地域の交通の中心となっています。
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